刀剣乱舞
女審神者+加州清光
いつかリベンジしたいネタ。
【愛を知らない女審神者と加州清光】
赤子が親を選べぬように、道具が使い手を選べないのは道理。
だが、意思を持った付神であるならば、話は別だ。
武士が主と定める者がいるように、刀剣男子だって主を選ぶことができる。
加州清光が女性を選んだのは、女性の方が自分を可愛くして可愛がってくれるかもしれない、という淡い期待があったからだ。
女性の中でも彼女を選んだのは、多分自分と似たような気配を感じたからだ。
『愛されたい』
そう思うのは、存在している者の本能だと思うのだ。
自分の存在価値を認めてもらえる、安心感。
自分がここにいていいのだと、許しをもらった気分になる。
己が主に愛されているかということは、加州清光にとって重大な問題である。
しかし、愛されているかどうか毎日毎日確認するのは相手の負担になることも知っている。
加えて、加州の選んだ主は寡黙であまり表情を変えないわかりづらい女性であった。
ゆえに、意識的に自重してきた。
だが、日常に慣れてきた時にこそ言葉は出てきてしまうらしい。
また、重傷を負って気が弱っていたことも一因だったのかもしれない。
ぽつりと、心のなかで呟いたつもりだった言葉は主に拾われてしまった。
「俺って、愛されてるのかな…」
「…すまない。私は、愛を知らない。だから、お前を愛することができない。」
いつだって無表情で、無愛想な彼女が、初めて表情を崩した瞬間だった。
泣きそうな、悲しそうな、こちらが切なくなるような笑みを浮かべた。
無理矢理にでも笑わないと涙がこぼれてしまうことを恐れていたように感じた。
彼女は「愛」に対して、なにやら思うところがあるらしい、と気づいたのはその時だった。
そして、気づいた瞬間に、口からこぼれていた。
「―――いいんだ。主が俺を愛してくれなくても、その分俺が主を愛せばいい」
あの臆病で優しい主に、少しでも想いを伝えて。
愛を、教えてあげられればいい。
刀が人間に愛を教えるなどおかしいだろうか。
だが、付喪神は人間に想われたからこそ、愛されたからこそ、生まれた存在だ。
ならば、その想いを、愛を、人間に返していきたいと願って、何が悪い?
主はいつか言った。
自分はどうやら周りの人間には愛されない生き物らしい、と。
ならば、そんな愚かしい人間の変わりに、神が、刀である自分が愛そうではないか。
加州清光はもう愛を乞わない。
だって審神者を愛しているから。
自分が審神者を愛している、その事実だけで十分なのだ。
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