※とうらぶ
※あくまで刀と女審神者の関係は、使われる刀と使い手の主としての親愛関係から成り立つもので、恋愛関係はございません。
※ぴくしぶUP予定あり
初期刀贔屓な女審神者と山姥切国広
うちの主は病気持ちだ。
だかしかし、心配はしないでほしい。
何も死の淵にいるとか、寝たきりだとか、そういうことではない。
ある意味その病気は不治の病であり、大変稀で、どんな医者も手に負えぬ頭の痛い病気であるとしても。
最初の頃はそうでもなかった。
始めて会ったときの主は、真面目で臆病な、普通の女の子だった。
初めてのことに戸惑う姿も。怯えたような表情も。
戦や武器、血生臭いことが苦手なのか、震える手足も。
傷を負った仲間を目にすると泣きそうに歪む青白い顔も、掠れる声も。
年相応な、ただの女の子だった。
自分が支えていかねば壊れてしまうと思うぐらい、儚げで。
自分が守ってやられねば、と思っていた。
……………………その、はず、だったのだが。
「国広おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
きた。
はじまった。
今日もまた主の発作だ。
まだ本丸に来たばかりで、主のこの絶叫を初めて聞く刀剣男子たちは、みな何事かと驚きを顕わにする。そして主が心配になって見に行って声をかけたり、気遣ったりするものだ。
しかし、今ではもうこの日常に慣れきっている刀剣男子が多いので、ほとんどのみんなは気にしない。
主が叫んでいてもまたかーと、呆れたような視線をよこす者、もはや何事もなかったかのように内番作業を進める者、聞こえなかったふりをする者、気にせずに休息をとる者・・・。
主のこの狂ったような言動に名前を付けたのは誰だったか。
『山姥切国広欠乏症。もとい国広病。』
いつの間にかそんなふうに呼ばれるようになったこの主の奇怪な病気。
治療法は簡単だ。山姥切国広が主の傍にいるだけで治まる。もっとも、完全な治癒には至らないが。
「国広、広国、国広おおおおおおおおお」
ヒステリックに叫ぶ主。最初は自分が呼ばれているとは思わなかったものだ。
「国広」は、この本丸に3人いるからだ。
自分ーーー山姥切国広と、同じ堀川派で兄弟でもある、堀川国広、山伏国広だ。
しかし、この3人いる国広の中で、主が国広と呼ぶ者は山姥切国広だけである。
『私にとっての国広は国広だけなの』だという。
和泉守兼定は、堀川国広を国広と呼ぶため、山姥切国広は山姥切、と呼ぶし、
他の者も山姥切と呼ぶ者が多い。
しかし主にとっては、初期刀は特別らしい。
他の者も山姥切と呼ぶ者が多い。
しかし主にとっては、初期刀は特別らしい。
最初はあまりに初期刀贔屓な主の言動を妬まれ、加州や長谷部あたりに嫌味でも言われるのではないかと身構えていた。しかし、主の愛の重さに自分では受け止められない、無理だと思ったようで、今では生贄のように差し出される。解せん。
それでも。
巷で人気のある某じじいとか狐とか鶴とか、粟田口の長男だとか。
いわゆるレア刀、という刀がきたら、己への依存や執着もなくなるのだろう、と覚悟していた。
しかし、そんな兆候は全く感じられない。
まだ来ていない狐が欲しい、とはよく言うが、それでもあの天下五剣にもレア刀達にも、主として己の刀に対する愛情は向けても、山姥切国広に向けるような執着はない。
いまだに近侍は山姥切国広だ。
ただ、いつしか興味が薄れるだろうという恐怖はまだある。
だって自分は写しだ。
写しだという劣等感(コンプレックス)はあの主のおかげで少しは和らいだが、なくなりはしない。
写しであることは、山姥切国広にとってはもはや自我同一性(アイディンティティ)だ。
だから、一生その劣等感(コンプレックス)を抱えて生きていくのだろうと、思う。
そんな山姥切国広に、主は言う。
『国広は何をしても可愛い』
なんだそれは。と誰かが突っ込んだのは覚えている。
加州でもなかったし、長谷部でも、歌仙でもなかった。
兼定あたりだろうか。彼は最年少ゆえか、結構失言が多かったりする。(彼の何気ない一言に主が時々傷ついていたりするので、山姥切国広にとって要観察対象である。)
山姥切国広が傷を負うたび、畑仕事や馬の世話で汚れるたびに、写しにはこんな恰好がお似合いだと言うと、主はそんな国広も愛おしいと言う。
遠征を失敗したり、出陣や演習で敗北したり、近侍や内番の仕事でミスをして落ち込む山姥切国広を、どんな国広だって愛してると言う。
山姥切国広の存在そのものを認め、許し、愛おしいと言う主。
山姥切国広が嫌いな山姥切国広のことすら、愛おしいと言う。
「国広君」
「山姥切の旦那」
どうやら自分が考えこんでいる間に時間が経っていたらしい。
主の絶叫は聞こえなくなったが、お迎えが来ていた。
燭台切光忠と薬研藤四郎。
この二人は主が審神者を始める前から、主が情報を集めていた刀で、ずっとずっと主が欲しいといっていた刀だ。
薬研藤四郎は比較的初期に本丸に来てくれたが、燭台切光忠はなかなか顕現せず、主は悲嘆にくれていたものだ。
他の審神者達によると燭台切光忠は太刀の中でも比較的手に入りやすい、と評判だったらしい。
なんでうちの本丸には来てくれないのかな…もううちの本丸に来てくれないのかな…と絶望していた主に、俺はなんと声をかけていいかわからず、ひたすら背や頭を撫でて慰めていた。
そして薬研藤四郎が来て数週間後、山姥切国広が第一部隊の隊長を務めていた際、燭台切光忠がドロップして大喜びした。
が、あまりのイケメンっぷりに恥ずかしい、と国広の後ろに隠れてまともな挨拶ができなかったことも今となっては良い思い出だ。
そんな主の様子にもともと世話焼きの二振りは放って置けないと思ったらしく、主の世話役を買ってでてくれる。大変頼りになる刀剣たちである。
「旦那、そろそろ大将が限界だぜ。行ってやんな」
「主、多分泣いてるよ」
「わかってる」
いつだったか、遠征で燭台切光忠と山姥切国広が一緒の部隊になったことがある。
また薬研藤四郎も違う部隊で遠征に出ていた。
運の悪いことに、どちらの部隊も長期の遠征だった。
その時、主の発作が起きた。
山姥切国広がいなくとも、いつもなら燭台切光忠がおいしいお菓子を作って主の気を引いたり、
薬研藤四郎が万屋に誘ったり、他の短剣を連れて遊びに誘って気をそらしたり、
なんとか山姥切国広が戻ってくるまで間を持たせていた。
しかし、そんな2人もいなかったため、あわや強制帰還か、というほどまで本丸は追い詰められたらしい。(強制帰還は政府の命令で、何か特別な事情がない限りはやらないような暗黙の決まりがあるらしいが)
泣き喚いてとまらない主をなんとか宥めようと短刀、脇差、打刀、太刀、大太刀関係なく皆が大慌てだったらしい。(まだその時は薙刀と槍は一振りもいなかった)
結局、主は泣きつかれて眠ってしまったらしいが、あの主をいつも宥めている山姥切国広はすごい、という謎の尊敬を向けられた。解せん。
つらつら過去を思い返しながら歩を進め、主の私室にたどり着く。
ここは近侍の自分以外はあまり立ち寄らない。
「入るぞ」
入室の許可など端から期待していない。
主が一度爆発して拗ねるとだんまりになるのは重々承知の上だ。
視線を下に向けると、案の定、膝を抱え込んで小さく丸くなっている主がいた。(主の時代ではたいいく座りというらしい)
遅い、というように涙目の瞳で睨まれるが、これっぽっちも怖くはない。
遅くなって悪かった、と目線で謝り、屈みこむ。
そして自分に引っ付いて甘えるように擦り寄ってくる主の頭を撫でる。
そうすると、まるで恋する少女のように頬を染めて、満たされたように微笑むのだ。
主のこの甘えを依存と捉えるか。
ただ寂しがり屋で臆病な娘の強がりとするか。
山姥切国広を呼んだのは、選んだのは、今現在の己の主だ。
唯一、自分を認めてくれ、求めてくれ、必要としてくる存在だ。
兄弟だって、仲間だっている。
しかし、山姥切国広だってわかっている。
もうあの主の存在なしではいられないだろうことを。
愛を請うことなどしたことはない。
無償の愛を求められたこともない。
この気持ちはなんだろうか。
自惚れや自意識過剰なんかでもない。
きっと主にこんな顔をさせることができるのは、自分だけだ。
『国広が国広だから、愛おしいの』
いつか主はそう言った。
それはこちらの台詞だった。
どんな姿を見せられたって、どんな失敗をしたって、どんな主だって、
山姥切国広にとっての唯一の存在。
そんな主だから愛しているのだと、この主はわかってくれているのだろうか。
自分はきっとまた写しを嘆く言葉を吐くだろう。
傷つくたびに、このまま朽ち果てたいとぼやくだろう。
だが、この主がいてくれる限り、山姥切国広は、やっぱり近侍を勤めるのだ。
愛しいと告げられるたび、可愛い、きれい、かっこいい、と賞賛されるたびに。
言葉を返したくなる。
俺だって、そう思っている。
それはお前だろう、と。
いつか、この思いを告げる日はくるのだろうか。
もし、告げたら何か変わるのだろうか。
自分は写しだから、その先のことなんてわからないが、それは決して悪い変化ではないと思うのだ。
ーーーーーーこれは「共依存」関係だ。
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